名古屋高等裁判所 昭和24年(控)19号 判決 1949年6月27日
被告人
竹内正一
主文
本件控訴を棄却する
理由
原判決は被告人竹内正一に対する第一、同被告人及び原審相被告人中川定市、伊藤守三名共謀による窃盜、第三ノ一乃至四被告人竹内正一單独による各窃盜の事実の外第二右中川定市、伊藤守両名共謀による窃盜、第四の一乃至四中川定市單独による各賍物牙保の事実を認定しその証拠説明としてこれ等の事実を総括して其の証拠として始末書、供述書等三十余通の書類の各標目記載と押收物件の存在を羅列挙示しておるに過ぎないことは洵に所論の如くであつて証拠説示として適切とは言い難く軽挙の譏を免がれないが有罪判決における罪となるべき事実の証拠説明として單に証拠の標目を示せば足り具体的にその内容を挙示するに及ばないことは新刑事訴訟法第三百三十五條の規定に依り明かである。從てその如何なる証拠が又その如何なる部分が如何なる事実認定の資料に供せられたか記録上各証拠の標目と判示事実とを対照することによつて容易にこれを知ることができ且つ証拠相互の間に矛盾するところがない限り前段のような証拠説示の方法も場合により許さるべきであつてこれをもつて直ちに理由不備の違法あるものと速断することは出來ない。
第一点 原判決は其の事実理由の部において原審被告人竹内正一、同中川定市、同伊藤守の三名に対する、被告人三名の共謀同中川と伊藤の共謀及び同竹内單独でした合計六件のヂヤツキ、ハンドル、貨物自動車後車輪、自動車タイヤ、自轉車、衣料品の窃盜と同中川單独でした合計四件の贓物(竹内正一の窃盜品)牙保総計十件の犯罪を認定しながら、その証拠の説示としては、漫然原審檢察官の挙証振りを踏襲して其の提出にかゝる蛭川武雄より四日市市富田警察署長宛の提出始末書其他合計二十通に達する始末書、領置書、前科調書、盜難届、搜査見分報告書、通常逮捕手続書、実見始末書、顛末書(各作成者氏名附記)及び被告人中川定市に対する訊問調書と供述調書計四通、同竹内正一に対する訊問調書と供述調書計五通、同伊藤守に対する弁解録取書と供述調書計三通とを雜然列挙し、單に是等の「各記載」と「押收品ドライバー壱個(証第十一号)、棒電池壱個(証第十二号)、ゴム靴壱足(証第十三号)、現金千五百円也(証第十号)の存在とによつて」右判示事実を「認めることができるので証明は十分である」と表現してあるだけである。換言すると原判決は
(一)其の証拠理由中列挙の前記文書の「各記載」は果して如何なる内容の記載であるかの点については何等具体的の説示がないから是等証拠の如何なる部分が事実認定の資料に供せらたものであるかを判断するに由がない。畢竟此点において理由不備の違法を免がれない。
(二)加之是等の文書中には(イ)原審相被告人中川定市及び同伊藤守両名のみが(被告人竹内正一には関係なく)敢行した犯罪事実の証拠たるべきもの(例へば蛭川武雄提出の盜難届)や(ロ)甚しきは被告人竹内正一の所犯は勿論他の原審相被告人両名の所犯にかゝる犯罪事実自体を証するものでないもの(例へば中川定市に対する前科調書、米麦の押收にかゝる領置書、通常逮捕手続書、病院より提出の顛末書等々)が存在することは原審判決理由に於ける文詞自体に徴して一見明白であるのに拘らず原判決はかゝる文書をも亦、他の列挙文書と綜合して被告人竹内正一の所犯断罪の証拠として之を援用するような違法を敢てしてゐる。
(三)其の他「押收品ドライバー壱個乃至現金千五百円の存在」により之を綜合証拠の一として説示しているのも亦右(ニ)の(ロ)と同樣の違法あるものと謂はねばならぬ。
(四)而も原判決が何故かゝる軽挙を敢てしたかを檢討してみるに、眞の違法は眞実的審理不盡に帰ると断ぜねばならない。なぜなれば原審檢察官は「後に提出すべき証拠(原判決列挙通りの証拠)について其の標目を明示」する丈けで「証すべき事実を明かにし」得たものと信じていたのであるし(第一回公判調書第三十五丁)原判決亦漫然此檢察官の挙証振りを踏襲したに過ぎないからである。これは起訴状の記事と原判決事実理由の記事との対照並に檢察官の挙証の標目列挙式と原判決の証拠理由の標目列挙式とを対比してみるならば一層釈然たるものがあろう。
畢竟果して眞実に証拠調べが行はれ、十分なる証拠によつて人の子の罪を断ずる底の審理が盡されたものかどうか甚だ人をして疑はしむるに足るものが存するのである。